賀茂別雷神社・上賀茂神社

賀茂別雷神社・上賀茂神社
住所 〒603-8047 京都府京都市北区上賀茂本山339
公式 URL https://www.kamigamojinja.jp/
例年の見頃 11月下旬〜12月上旬

賀茂別雷神社・上賀茂神社完全ガイド:京都最古の神社の歴史と見どころ

賀茂別雷神社(上賀茂神社)とは

賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は、京都市北区上賀茂本山に鎮座する京都最古の神社のひとつです。一般には「上賀茂神社(かみがもじんじゃ)」の通称で親しまれており、賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに「賀茂社」と総称されています。

正式名称である「賀茂別雷神社」の「別雷」は「わけいかづち」と読み、雷(いかづち)を分ける、すなわち雷を自在に操る神という意味を持ちます。この神社は古代京都を支配した賀茂氏の氏神を祀る社として、京都の歴史と深く結びついています。

1994年には「古都京都の文化財」の構成資産として世界遺産(世界文化遺産)に登録され、国内外から多くの参拝者が訪れる京都を代表する神社となっています。

御祭神と神話

賀茂別雷大神

上賀茂神社の御祭神は賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)です。この神は雷神であり、厄除け、落雷除け、電気産業の守護神として崇敬されています。また、方除け、災難除けのご利益があるとされ、現代では電気・電子関連の企業からの信仰も厚い神様です。

神山への御降臨伝承

神話によれば、賀茂別雷大神は神代の昔、およそ2,600年前に本殿の北北西に位置する神山(こうやま)に御降臨されたと伝えられています。神山は標高約678メートルの秀峰で、古来より神が降り立つ聖地として崇められてきました。

賀茂別雷大神の誕生については、『山城国風土記』逸文に興味深い伝承が残されています。賀茂氏の娘である玉依姫命(たまよりひめのみこと)が鴨川で遊んでいた際、上流から流れてきた丹塗りの矢を拾って床に置いたところ、その矢によって身ごもり、賀茂別雷大神を産んだとされています。この丹塗りの矢は火雷神(ほのいかづちのかみ)の化身であったといわれています。

歴史

創建から古代まで

賀茂別雷神社の創建年代は明確ではありませんが、社伝では神代に遡るとされています。歴史的記録としては、第40代天武天皇6年(677年)に現在の地に社殿が造営されたことが確認されており、これが賀茂神宮としての社殿の礎となりました。

平安京遷都(794年)以前から存在していた上賀茂神社は、桓武天皇による平安京造営の際に皇城鎮護の神として重視されました。平安時代には下鴨神社とともに「山城国一之宮」として、山城国(現在の京都府南部)で最も格式の高い神社とされました。

朝廷との関係

平安時代を通じて、上賀茂神社は朝廷から特別な崇敬を受けました。弘仁元年(810年)には最高位の神階である正一位を授けられ、賀茂祭(葵祭)は勅祭として国家的な祭祀となりました。

伊勢神宮に次ぐ格式を持つ神社として、天皇の即位や国家の重大事には必ず奉幣使が遣わされました。また、賀茂氏からは斎王(斎院)が選ばれ、神に仕える巫女として神社に奉仕しました。この斎院制度は嵯峨天皇の時代(810年)から鎌倉時代まで続きました。

中世から近世へ

中世には戦乱により社殿が荒廃する時期もありましたが、朝廷や幕府の庇護により復興が図られました。江戸時代には徳川幕府からも保護を受け、社領の安堵や社殿の修復が行われました。

明治時代の神仏分離により、それまで神宮寺として存在していた仏教施設は廃されましたが、明治4年(1871年)には官幣大社に列せられ、国家の重要な神社としての地位を保ちました。

現代の上賀茂神社

第二次世界大戦後は神社本庁に属する宗教法人となりました。1994年のユネスコ世界文化遺産登録以降は、国際的な文化財としても注目を集めています。2015年には本殿・権殿の檜皮葺屋根の葺き替えを含む「第42回式年遷宮」が執り行われ、伝統的な技術の継承と社殿の保存が図られました。

境内の見どころ

上賀茂神社の境内は約23万坪(約76万平方メートル)という広大な敷地を誇り、全域が世界文化遺産に登録されています。緑豊かな境内には歴史的建造物が点在し、古代からの信仰の場としての雰囲気を色濃く残しています。

一の鳥居と参道

境内への入口となる一の鳥居をくぐると、まっすぐに伸びる参道が続きます。この参道の両側には美しい芝生が広がり、春には桜、秋には紅葉が訪れる人々を迎えます。参道を進むと二の鳥居が見え、その先に神域の中心部が広がります。

細殿と立砂(たてずな)

二の鳥居をくぐって最初に目に入るのが、重要文化財に指定されている細殿(ほそどの)です。この建物の前には、上賀神社を象徴する「立砂」と呼ばれる一対の円錐形の砂山があります。

立砂は神が降臨した神山を模したもので、高さは約2メートル。白砂を美しい円錐形に盛り上げたこの砂山は、神の依り代とされています。一方の頂には松葉が2本、もう一方には3本立てられており、これは陰陽を表すとされています。この立砂は「盛り砂」の起源ともいわれ、現在でも家の前に盛り砂をして清めの意味を込める風習の源流とされています。

楼門(ろうもん)

細殿の先には、重要文化財に指定されている楼門がそびえ立ちます。この朱塗りの二階建ての門は、寛永5年(1628年)に造替されたもので、高さは約13メートル。堂々とした姿は上賀茂神社の威厳を示しています。

楼門は通常は閉じられており、特別な祭事の際にのみ開かれます。楼門の左右には透塀(すきべい)が連なり、神域の内と外を区切っています。

本殿と権殿(国宝)

楼門の奥、最も神聖な場所に鎮座するのが本殿権殿です。この2棟は国宝に指定されており、上賀茂神社の中心的な建造物です。

本殿は文久3年(1863年)に造替されたもので、三間社流造(さんげんしゃながれづくり)という神社建築の代表的な様式で建てられています。檜皮葺(ひわだぶき)の屋根は優美な曲線を描き、日本建築の粋を示しています。本殿内には御神体が安置されており、通常は一般の参拝者は拝観できません。

権殿は本殿の東側に並んで建てられており、本殿とほぼ同じ規模・様式を持っています。権殿は本殿の修理や遷宮の際に神様を一時的にお遷しする仮の社殿として、また本殿に何かあった際の予備の社殿としての役割を果たします。

両社殿とも檜皮葺の屋根が特徴的で、定期的な葺き替えにより千年以上の伝統が守られています。

片山御子神社(片岡社)

境内の東側には、重要文化財に指定されている片山御子神社(通称:片岡社)があります。この社は縁結び、恋愛成就、子授けの神として知られる玉依姫命を祀っており、特に女性の参拝者に人気があります。

紫式部が『源氏物語』執筆の際に参詣したという伝承があり、文学ファンの巡礼地ともなっています。また、少将井という井戸があり、この水で顔を洗うと美人になるという言い伝えがあります。

ならの小川と御物忌川

境内を流れるならの小川御物忌川は、上賀茂神社の清浄な雰囲気を作り出す重要な要素です。これらの小川は神山を水源とする清流で、古来より禊や神事に用いられてきました。

ならの小川沿いには「渉渓園」という庭園があり、5月の葵祭の前には「賀茂曲水宴」という雅な神事が行われます。川の流れに盃を浮かべ、盃が自分の前を通り過ぎる前に和歌を詠むという平安時代の遊びを再現したものです。

土屋(つちのや)

境内には土屋と呼ばれる建物があり、これは重要文化財に指定されています。土屋は土師器(はじき)などの神饌を調製する場所で、古代の祭祀形態を今に伝える貴重な建造物です。

摂末社

上賀茂神社の境内および周辺には、24社の摂社・末社が鎮座しています。それぞれが独自の御神徳を持ち、参拝者の様々な願いに応えています。

主な摂末社

新宮神社は本殿の東側に位置し、賀茂別雷大神の荒御魂を祀っています。賀茂山口神社は神山の登山口に鎮座し、山の神を祀る社です。久我神社は賀茂氏の祖神を祀り、岩本神社は境内の北西部に位置する古社です。

棚尾神社は境内の東部にあり、五穀豊穣の神として信仰されています。これらの摂末社を巡る「摂社巡り」も、上賀茂神社参拝の楽しみのひとつとなっています。

主な祭事と神事

上賀茂神社では年間を通じて多くの祭事が執り行われ、古代からの伝統を今に伝えています。

葵祭(賀茂祭)

葵祭は毎年5月15日に行われる上賀茂神社と下鴨神社の例祭で、京都三大祭のひとつに数えられます。正式には「賀茂祭」といい、平安時代には単に「祭」といえば葵祭を指すほど重要な祭礼でした。

祭の起源は欽明天皇の時代(6世紀)に遡るとされ、凶作や疫病を鎮めるために賀茂神を祀ったことに始まります。現在の祭礼は、平安時代の装束を身にまとった500人以上の行列が京都御所から下鴨神社、上賀茂神社へと向かう「路頭の儀」が見どころです。

行列の参加者は全員、葵の葉を身につけることから「葵祭」の名がつきました。勅使が派遣され、御幣物が奉納される格式高い祭礼です。

賀茂曲水宴

毎年4月の第2日曜日には、賀茂曲水宴が執り行われます。これは平安時代の宮中行事を再現したもので、ならの小川のほとりで行われます。

平安装束を身にまとった歌人たちが、川の流れに浮かべた盃が自分の前を通り過ぎる前に和歌を詠むという雅な神事です。王朝文化の優雅さを今に伝える貴重な行事として、多くの観光客が訪れます。

武射神事

1月16日に行われる武射神事は、年頭に邪気を祓い、五穀豊穣を祈る神事です。裏正面に「鬼」と書かれた的に矢を射て、悪鬼を退散させるという勇壮な儀式です。

夏越祓式(なごしのはらえしき)

6月30日には夏越祓式が行われます。これは半年間の罪穢れを祓い、残り半年の無病息災を祈る神事です。境内に設けられた茅の輪をくぐることで、厄を落とすことができるとされています。

烏相撲(からすずもう)

9月9日の重陽の節句には、烏相撲という独特の神事が行われます。これは刀祢(とね)と呼ばれる神職の子供たちが相撲を取る神事で、「カーカーカー、コーコーコー」という烏の鳴き声を真似る所作から「烏相撲」の名がつきました。

賀茂氏の祖神である賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が八咫烏(やたがらす)に化身したという神話に由来する神事です。

その他の主要祭事

競馬会神事(くらべうまえしんじ)は5月5日に行われる勇壮な神事で、2頭の馬が境内の馬場を疾走して速さを競います。平安時代から続く伝統行事です。

11月23日の新嘗祭は、その年の新穀を神に奉納する重要な祭事です。また、10月の神嘗奉祝祭では、伊勢神宮で行われる神嘗祭を祝う神事が執り行われます。

文化財

上賀茂神社には多くの貴重な文化財が保存されています。

国宝建造物

  • 本殿:三間社流造、檜皮葺
  • 権殿:三間社流造、檜皮葺

重要文化財建造物(41棟)

楼門、細殿、土屋、片山御子神社本殿など34棟の建造物が重要文化財に指定されています。これらの建造物は室町時代から江戸時代にかけて造営されたもので、神社建築の歴史を知る上で貴重な資料となっています。

その他の文化財

境内全域が国の史跡に指定されているほか、多くの美術工芸品、古文書も所蔵されています。社宝として伝わる太刀や神宝類は、賀茂氏と朝廷の深い関係を物語る貴重な品々です。

特別参拝と授与品

本殿特別参拝

通常は楼門の外からの参拝となりますが、初穂料を納めることで楼門内の特別参拝が可能です。国宝の本殿・権殿を間近で拝観でき、神職による説明を聞くことができます。

お守りと授与品

上賀茂神社では様々なお守りが授与されています。特に人気なのが、雷除けの「雷除守」、厄除けの「厄除守」、縁結びの「縁結守」などです。

また、葵の葉をあしらった「葵守」は上賀茂神社ならではの授与品です。賀茂別雷大神の神紋である「二葉葵」は、徳川家の「三つ葉葵」の紋の起源ともされています。

おみくじ

境内では通常のおみくじのほか、「八咫烏みくじ」という烏の形をした可愛らしいおみくじも人気です。賀茂氏と八咫烏の縁にちなんだ授与品です。

現地情報とアクセス

基本情報

正式名称:賀茂別雷神社
通称:上賀茂神社
所在地:〒603-8047 京都市北区上賀茂本山339
電話:075-781-0011
社務所受付時間:8:30〜17:00
参拝時間:5:30〜17:00(時期により変動あり)
参拝料:境内参拝自由(特別参拝は有料)

アクセス方法

電車・バスでのアクセス

  • 京都市営地下鉄烏丸線「北山駅」から徒歩約15分
  • 京都市バス「上賀茂神社前」下車すぐ
  • 京都市バス「上賀茂御薗橋」下車、徒歩約3分
  • 京都駅からは市バス4番、9番で約40分

自動車でのアクセス

  • 名神高速道路「京都南IC」から約40分
  • 境内に参拝者用駐車場あり(170台、30分100円)

周辺の見どころ

上賀茂神社の周辺には、社家町と呼ばれる歴史的な町並みが残っています。これは神社に仕えた神職の屋敷が並ぶ地域で、土塀と生垣が続く美しい景観が保存されています。「明神川」沿いの散策路は特に風情があり、京都の古い町並みを楽しめます。

また、下鴨神社までは約3キロメートルの距離で、賀茂川沿いを歩いて訪れることもできます。両社を巡る「賀茂社巡り」は京都観光の定番コースのひとつです。

まとめ

賀茂別雷神社(上賀茂神社)は、2,600年以上の歴史を持つ京都最古級の神社であり、世界文化遺産にも登録された日本を代表する文化財です。国宝の本殿・権殿をはじめとする貴重な建造物、葵祭などの伝統的な神事、そして緑豊かな広大な境内は、訪れる人々に古代からの信仰の息吹を感じさせてくれます。

京都市北区上賀茂本山に位置し、アクセスも良好なこの神社は、京都観光において外せない重要なスポットです。歴史愛好家、建築ファン、パワースポット巡りを楽しむ方々など、様々な目的で訪れる価値のある場所といえるでしょう。

四季折々の自然の美しさ、厳かな神事、そして千年以上受け継がれてきた伝統が融合した上賀茂神社で、日本の精神文化の源流に触れる体験をしてみてはいかがでしょうか。

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